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ティン〇イン〇というダジャレを思いついて何年も経つのに馬生が重過ぎて使いどころがない。
テンポイントの動画は涙腺崩壊ものです。あの日経新春杯は泣けてきます。
66.5キロなんて異常ですよね。
物心ついた時、私の中にテンポイントはトップオブトップな存在でした。関西住みなら知らぬ者はない期待の星、出生の物語、実力と美しさ。あの有馬。そしてまさかのあのレース。ブラウン管の前で目を疑いました。永い月日を超えて、今でも私の中で、テンポイントは至高の存在です。
このテンポイントの悲劇から、負担重量が改善されたんだよな。
悲運の馬として今でも語られるテンポイント、グリーングラスのラストランまで含めてタレント揃いの良い世代でした
さんまさんがテンポイントのことをよく話してたんですよね。テレビでテンポイントのお墓に行ってましたし。関西から上京する人は、自分とテンポイントを重ねてたんでしょうね。
テンポイントの闘病の日々は競走馬医学の発展につながった。
「この馬だよ!テンポイント!」食事中にテレビに映った馬を観てこういった。父は当時建設中の美浦トレセンの現場監督をやっていて工事を見に来た競馬関係者から治療中の話を聞いていたらしい。当時小学生だった私は馬小屋(厩舎という言葉を知らなかったので)からこちらを眺めている茶色の馬を忘れられなくなった。そうして彼は間もなく亡くなったことを知った。私が競馬に興味を持ったのはここから。その当時は競馬はおじさんのものでなんのためらいもなく誰もが気軽に行けるのは武豊の登場を待つことになった。あれから40数年、競馬は進化し続けているが馬の故障、騎手の落馬事故は後を絶たない。人馬の安全についてこれからも考えなければならない。
日経新春杯と聞くとどうしても思い出してしまう
テンポイント、強く愛された馬だったよね。
テンポイントは11勝、母ワカクモも11勝、祖母クモワカも11勝。映画化された「優駿」にはこれがヒントになっていると思しきネタが入っている。
1977年有馬記念に当時京都に住んでいた私は40万円の金を持って中山競馬場にテンポイント、トウショウボーイの枠連一点を買うために夜行バスにに乗って向かいました。
テンポイントは母方の祖母クモワカの代からストーリーが濃いし全弟のキングスポイントも悲劇の最後を遂げているんだよな、年末年始の明石家さんまと大泉洋が北海道に旅をする番組でさんまさんがもう一度テンポイントの墓参りをしたいということで埋葬先に訪れていたけどテンポイントの慰霊碑の少し離れている場所に弟のキングスポイントと兄弟の父親のコントライトも同じ墓所に埋葬されていたよ
テンポイント 四白流星 貴公子と呼ぶに相応しいサラブレット 悪夢のような日経新春杯 66.5㎏の滅茶苦茶なハンデを背をわされ、これを契機にハンデキャップ重量が見直された 輝く栗毛の名馬でした
リアル世代です。66.5キロという酷量を背負わされても4角馬なりで上がってきた記憶が……闘病生活もずっと見守っていましたが、ただただ悲しかったです🛐
あのレース、テンポイントが故障する直前まで、鞍上の鹿戸明騎手が考えていたのは、「さあ どれくらいちぎれるかな!」だったとのこと。
@@クンロク-x6e まだ学生時代ですが、リアルでテレビで見てました。ホント、そういう手応えでした。切ない結果に……
当時のドキュメント番組で知った悲運の貴公子テンポイント。競馬をあまり見ないオカンも当時のことをよく覚えていました。
22回有馬記念は今見ても凄いレースですね
テンポイントの個人的ベストレースは、63 ㎏ 背負って 8 馬身ブッチ切った5歳秋の京都大賞典だと思う。
こんばんは投稿お疲れさまですテンポイント綺麗でしたよねテンポイントのお墓に行くのが夢です
最近 ”名馬”も どんどん消費されてる気がする自分的にはサイレンススズカ以降、心に残る名馬はいない貴公子、皇帝、天馬などの冠もつかないし”名勝負”と呼べるレースもなくなったもちろん”記録に残る”凄い馬はその後もたくさん出てますし9冠馬 なんていうのもいますけど…単に時代…なんでしょかね… 語り継ぐ 語り継がれる”名馬”テンポイント
寺山修司の詠んだ嗚呼、テンポイントが頭に浮かびました……。ウイポ10でテンポイントめちゃくちゃ活躍させてます😊
第22回有馬記念は伝説のマッチレースですよね❗こういうレース、滅多に見れないですよね!特にG1レースは。
久々にテンポイントの話を聴いて号泣してしまった😭何度きいても悲しい話…テンポイントが多くを経験してくれて現在の競馬があると思ってる。リアルでは知らない馬だけど、その栄光と闘志は語り継がれて残っていってるよ
グリーングラスもやってほしい。テンポイントが亡くなり、トウショウボーイは引退…残ったグリーングラスはその後も頑張って後輩馬達と戦い天皇賞と有馬記念を獲得した。グリーングラスの勝利はトウショウボーイとテンポイントの株を更に上げる事になったんやから…
グリーングラスの有馬記念は、テンポイント、トウショウボーイの有馬記念マッチレースの格を、守ったレースや
ちょっと泣きそうになっちゃった
テンポイントが、阪神三歳Sで圧勝し早めに東上したけどトライアルで辛勝し皐月賞はトウショウボーイにぶっちぎられ。ダービーは骨折。この時に、関東の競馬場は坂があるから(当時トレセンなく競馬場で調教)馬のエンジンが違うというコメントを残した。結局4歳クラシックは勝てなかった。しかし、5歳で馬体も成長しトウショウボーイとグリーングラスを破って古馬チャンピョンに・6歳時に海外遠征を踏まえ、雪の日系新春杯へ海外遠征の前に関西のファンに答えりため酷量を背負い3・4コーナーで骨折。通常なら即安楽死なのに、延命治療をしたけど、蹄葉炎でやせ細り安楽死。血統的矢当時の日本馬のレベルから海外で活躍できたかは分からないけど1978年の日本馬の希望ではあった。(サクラスターオーも有馬記念の骨折後の延命措置でどうように亡くなった。)
後にテンポイントの弟に乗る騎手が彼の見果てぬ夢をつかんだと言う、テンポイント武豊にも関わりがあったんだっけ
テンポイント…小さい時、夕方で山田雅人氏のネタでその最期を知りました。その後テレビ観戦の宝塚記念でのライスシャワーの最期…あの時もかなりの反響だったから当時のテンポイントを生かしてほしい気持ちもわかります。でも結果としては苦しめただけに…でも残した医療の経験が多くの馬生を救えたなら意味あるものだったと思います。
テンポイント、トウショウボーイ、グリーングラスの3頭がそろったレースが3レース(菊花賞、宝塚記念、有馬記念)あるが、その3レースともこの3頭が1〜3着を独占してます。しかもそれぞれ1勝。どんだけ仲良いんだ。
しかも三頭とも一度づつ年度代表馬。
テンポイントはレースでなくなったが…テンポイントの全妹のイチワカの血統が生きててワカクモのクロス持ってるハルダヨリさん
テスコボーイの最高傑作トウショウボーイ。奇跡の命を紡いで、生まれたテンポイント。天才武邦彦と年間10勝程度の鹿戸明。筋肉隆々のトウショウボーイに綺麗な栗毛のテンポイント。巨人軍のように強いものが勝つのを観たいトウショウボーイファンと巨人に勝てない阪神を溺愛し判官贔屓のテンポイントのファン。全てが対照的な2頭。最終決戦の有馬記念は2頭のマッチレース。最後は僅かに単勝支持で上回ったテンポイントがファンの後押しされたが如く人気に応え遂に天馬を破った。。もしあのレースでトウショウボーイが勝っていたら語り継がれることは無かっただろう。テンポイントが亡くなった後に歌われた「嗚呼、テンポイント、、、もう、良いんだよ、、」と言う曲と歌詞が走馬灯の様に今でも蘇り涙が出ます。あの曲、どなたかyoutubeでアップしてくれないかな。
私の年上の友人は、結婚式の日にテンポイントが死んで悲しくて涙を流し、その人と離婚した日に桜花賞でシスタートウショウとヤマノカサブランカの万馬券を当てて、つくづくダメな結婚だったといっていた。テンポイントは特別な馬だったそうだ。
テンポイントと言えば杉本清さんの名実況ですね。
「ムチなど要らぬ」っていうのが印象に残ってます
オールドファンが語り継ぎ世紀のマッチレースと言われた有馬記念スケールこそG2とはいえ阪神大賞典でのナリタブライアンとマヤノトップガンがTTGを見てない世代が語り継がれてる そろそろ次のレースを見たいな
トウショウボーイ グリーングラスの解説もやってほしい
競馬などの「ギャンブル」は大嫌いでして、競馬自体にもあまり興味がありませんが、この「テンポイント」のアクシデントだけは衝撃的でした。彼に「生き地獄」を味わわせるよりもむしろ安楽死させて欲しかった。
事件や事故で亡くなる子供の動画も好きじゃ無いが、馬もレース中止の予後不良のは嫌いだ無事コレ名馬の方が好みだ
宝塚記念と云い有馬記念と云い、TTGが揃うと少頭数になっちゃう!更に有馬記念はマルゼンスキーも予定だったのだから、そりゃみんな回避しますわな。
TTGついにですね。この世代をもっと語るべきだと思います。TTG以外にもクライムカイザー、ホクトボーイ、カシュウチカラがいますし、その前後のカブラヤオー、テスコガビー世代やマルゼンスキー、プレストウコウ、テンメイ世代との世代間での【if】がどれだけでも語られます。そして何より、その子供達の世代、特にミスターシービーまでの流れは、競馬の神様がファンに与えた夢物語だと思います。
5:19 なんだかんだでクライムカイザーが関東の厳しさを最初に教えたのかもしれないw
1990年に顕彰馬に選出されるテンポイトタラレバではあるけどテンポイトが生きていたら種牡馬としてみなさんは成功していたと思いますか?
スタミナ型 晩成型 栗毛【栗毛の馬は蹄が弱い】 失敗しそうな形質ばかりだからなあ。春天馬は出せたかもしれないが、ダービー馬や牝馬の活躍は無理だったろう。
テンポイントの父父ネヴァーセイダイは難産で、産まれた時には瀕死状態でウイスキーで気付けをしたエピソードでその名をつけられた。ダービーに挑んだもののそれまで勝ったり負けたりで人気が無かったもののエピソードを気に入った主婦、モナベストが馬券を買ったところ優勝。郊外に地下室付きの家を買うことが出来た。その地下室では彼女の息子の通う学校の生徒がレコードを聞いたりバンドを組んで演奏をしていた。そこに彼女の息子、ピートベストが加わって活動していたのが後の『ビートルズ』。ネヴァーセイダイがダービーを勝たなければビートルズもテンポイントもいなかったかもしれないと思うと奇妙なもんですね。
75世代で格下に見られていたグリーングラスの馬主さんの弟君が血の継承に挑んだ延長戦が98世代のグラスワンダー。有馬で当たるはずだったマルゼンスキーの再来と呼ばれ、ライバル テンポイントと同じ重度の骨折を負いながらも医療技術の進歩で命を取り留めて血を繋いでるモーリスをすこれ。
馬もだが、二度目の有馬記念時の陣営のトウショウボーイに対するライバル意識が凄かった。【このままトウショウボーイに勝ち逃げされたら、テンポイントは種牡馬になってもトウショウボーイより格下に扱われてしまう。それだけは断じて我慢ならん。】
まだ競馬というものを知らなかった小学生の頃、近所の競馬好きおばちゃん(この方、ワイの母親によると武邦彦推しだったらしい)の家に行ってて偶々テレビで「さよならテンポイント」とかやってたのを記憶している。こんなことになってたと知ったのは中2くらいでとある皇帝が三冠取ったってのをきっかけに競馬ってものを知った時だったんだが。
ただ…愛され過ぎた。
テンポイントは父親から色々教えて貰った事がありましたね。ビデオも買いましたね。その中でも印象に残ってるのが天皇賞制覇でしたね。
強くて美しい馬でした。キタノカチドキテンポイントトウカイテイオーが僕の大好きな名馬です。
人間の身勝手で亡くなった悲運の名馬77年の有馬記念のTTG決戦は競馬史上屈指の名勝負
TTGの頃に今くらいレース体系が整備されてればなぁ・・・あんな重いハンデ背負う日経新春杯なんか出なくても、阪神大賞典か大阪杯あたりでお披露目出来てたんだ
日経新春杯は、斤量も然る事ながら、当時小雪が舞い散る程の天候でしたから、その影響も有ったでしょうね。そして障害で活躍した弟のキングスポイントも………。
トウショウボーイはスピードが勝った、今ならマイルから2000mの重賞をメインに使われてたであろう馬。能力の高さで距離を克服していただけで、純粋に前述の距離ならテンポイントは勝てなかったと思う。
クライムカイザーは、当時のダービー馬だから。
サトノクラウンヤエノムテキヒシミラクルオルフェーヴルエスポワールシチーサクラチトセオーニホンピロウイナーサトノアレスルーラーシップファインニードルをお願いします🙇
今夜も完璧ダゼ😊
ウイニングポストではスペシャル種牡馬(ウイニングポスト7シリーズ~ウイニングポスト92021)や競走馬(ウイニングポスト92022以降シリーズ1970年代シナリオスタート)で序盤世話になる馬
2回目の有馬記念はトウショウボーイが引退を決めてたがテンポイントが出るならと引退を撤回し参戦したみたいなことなんかで見たけど違ったかな
最近やってるウイポの新作でグリーングラスを所持したら獲得賞金100億超えて強すぎた。まぁ、テンポイントとトウショウボーイをそれぞれ別路線にしてぶつからない様に調整したんだけども。
マンゼンスキーと有馬で走る姿を見たかったです!
テンポイントの馬主曰く「トウショウボーイの馬主は馬主会側としてストライキの団体交渉に臨んでたので妥結するかをほぼ把握していた」らしいちなみにテンポイントは幼駒時代体質が弱かったので脱脂粉乳を飲んでたそうな(後のリハビリ時も飲んでたらしい)
デビュー戦2着の騎手は加藤和宏調教師。有馬記念の単勝のオッズは2倍、2.6倍は連勝式のオッズ。最期のレースの単勝は千円買った。結果的に香典になった。
ワカクモの血統紹介で父の名前が誤っていると思います。「カバーラップ二世」だと思われます。揚げ足取り申し訳ありません。
吉田重雄(吉田牧場の代表)役妖夢高田久成役幽々子小川佐助役レミリア鹿戸明役フラン厩務員役小悪魔、パチュリー、美鈴、咲夜武田文吾(日本調教師会会長)役八雲紫
馬の事を考えたら安楽死させた方が正解だったよな。テンポイントを苦しむだけ苦しませたのだから。
時代が時代だからなのかどのレースも今と比べると少ない頭数なのね…
この世代のダービーは27頭立てですし古馬になってからはたまたまだったのかもしれません。旧5歳有馬は回避続出、宝塚に関しては八大競走ではなく単に定量で走れる重賞扱いだったので価値が微妙だったのもあると思います(今でも微妙ではありますが…)
>O川K次郎氏いったい誰なんですかねえ…((
それは競馬評論家の故・大川慶次郎氏ですよ。
宝塚記念のレース状況が間違っています。超ハイペースではなく、超スローペースです。その分、後半がすさまじく早くなり、スピードのない馬から脱落していくサバイバルレースとなりました。前半ではなく、後半が1000mのレコード超えです。日本経済新春杯も、当時も酷量は心配されていて、ファンの「出走」を望む声が多かったというのは今でも疑問です。競馬場での顔見世だけでも、というファンの声があって、それを日本中央競馬会に規則で出来ないと突っぱられたので、かわりに出走して顔見世がわりにしたという「気を使いすぎ」という面があったのではないかと。
いくらファンが懇願しようが、調教師も絶対に出走させるべきではなかった。66.5キロなんかめちゃくちゃすぎる。テンポイントはファンや調教師、馬主が殺したようなもんです。
日経新春杯使わずに平場のオープンで減量騎手乗せとけば。
@@ヤツバキ そうですね。それなら斤量も相手も楽になるので骨折はしなかったかもしれません。
今さらテンポイントされどテンポイント😢
過度な負担重量を科さない、これが無かったら「オジュウチョウサンがただの障害オープン、ウシュバテソーロがダートのオープン出たら何kg背負うんだよ」議論が・・・
無責任極まりないな「なんとか助けてくれ」だとか誰のせいでこんなことになったか分かってんのかよ
しかししてその犠牲が今日の治療法に生かされているのである
個人的な見解で色々な批判を浴びる覚悟でいいますもしマルゼンスキーが有馬記念に出走してTTに負けたら種牡馬として傷がつき市場価値がさがるので関係者は全勝のまま引退させたと当時二十歳の若造は想像したのであった
結局はトウショウボーイと走ってないから、種馬の初期の頃は完全な格下扱い。
ーコメ、テンポイントです
だったらサイレンススズカも手術すればいいのにあっさりと安楽死😱😢😰😭😭😭😭😭😭😭😭😭。自分はガラスをぶち破りたいほど暴れまくり😭😭😭😭😭😭😭😭。
結局、パンとした状態のトウショウボーイには勝てなかったし、種牡馬としても勝てなかっただろう。予後って語られる馬になって結果良かったんちゃうかな
ティン〇イン〇というダジャレを思いついて何年も経つのに馬生が重過ぎて使いどころがない。
テンポイントの動画は涙腺崩壊ものです。あの日経新春杯は泣けてきます。
66.5キロなんて異常ですよね。
物心ついた時、私の中にテンポイントはトップオブトップな存在でした。関西住みなら知らぬ者はない期待の星、出生の物語、実力と美しさ。あの有馬。
そしてまさかのあのレース。ブラウン管の前で目を疑いました。
永い月日を超えて、今でも私の中で、テンポイントは至高の存在です。
このテンポイントの悲劇から、負担重量が改善されたんだよな。
悲運の馬として今でも語られるテンポイント、グリーングラスのラストランまで含めてタレント揃いの良い世代でした
さんまさんがテンポイントのことをよく話してたんですよね。テレビでテンポイントのお墓に行ってましたし。関西から上京する人は、自分とテンポイントを重ねてたんでしょうね。
テンポイントの闘病の日々は競走馬医学の発展につながった。
「この馬だよ!テンポイント!」
食事中にテレビに映った馬を観てこういった。
父は当時建設中の美浦トレセンの現場監督をやっていて工事を見に来た競馬関係者から治療中の話を聞いていたらしい。
当時小学生だった私は馬小屋(厩舎という言葉を知らなかったので)からこちらを眺めている茶色の馬を忘れられなくなった。そうして彼は間もなく亡くなったことを知った。
私が競馬に興味を持ったのはここから。その当時は競馬はおじさんのものでなんのためらいもなく誰もが気軽に行けるのは武豊の登場を待つことになった。
あれから40数年、競馬は進化し続けているが馬の故障、騎手の落馬事故は後を絶たない。人馬の安全についてこれからも考えなければならない。
日経新春杯と聞くと
どうしても思い出してしまう
テンポイント、強く愛された馬だったよね。
テンポイントは11勝、母ワカクモも11勝、祖母クモワカも11勝。
映画化された「優駿」にはこれがヒントになっていると思しきネタが入っている。
1977年有馬記念に当時京都に住んでいた私は40万円の金を持って中山競馬場にテンポイント、トウショウボーイの枠連一点を買うために夜行バスにに乗って向かいました。
テンポイントは母方の祖母クモワカの代からストーリーが濃いし全弟のキングスポイントも悲劇の最後を遂げているんだよな、年末年始の明石家さんまと大泉洋が北海道に旅をする番組でさんまさんがもう一度テンポイントの墓参りをしたいということで埋葬先に訪れていたけどテンポイントの慰霊碑の少し離れている場所に弟のキングスポイントと兄弟の父親のコントライトも同じ墓所に埋葬されていたよ
テンポイント 四白流星 貴公子と呼ぶに相応しいサラブレット 悪夢のような日経新春杯 66.5㎏の
滅茶苦茶なハンデを背をわされ、これを契機にハンデキャップ重量が見直された 輝く栗毛の名馬でした
リアル世代です。66.5キロという酷量を背負わされても4角馬なりで上がってきた記憶が……闘病生活もずっと見守っていましたが、ただただ悲しかったです🛐
あのレース、テンポイントが故障する直前まで、鞍上の鹿戸明騎手が考えていたのは、「さあ どれくらいちぎれるかな!」だったとのこと。
@@クンロク-x6e まだ学生時代ですが、リアルでテレビで見てました。ホント、そういう手応えでした。切ない結果に……
当時のドキュメント番組で知った悲運の貴公子テンポイント。競馬をあまり見ないオカンも当時のことをよく覚えていました。
22回有馬記念は今見ても凄いレースですね
テンポイントの
個人的ベストレースは、
63 ㎏ 背負って 8 馬身ブッチ切った
5歳秋の京都大賞典だと思う。
こんばんは
投稿お疲れさまです
テンポイント綺麗でしたよね
テンポイントのお墓に行くのが夢です
最近 ”名馬”も どんどん消費されてる気がする
自分的にはサイレンススズカ以降、心に残る名馬はいない
貴公子、皇帝、天馬などの冠もつかないし
”名勝負”と呼べるレースもなくなった
もちろん”記録に残る”凄い馬はその後もたくさん出てますし
9冠馬 なんていうのもいますけど…
単に時代…なんでしょかね… 語り継ぐ 語り継がれる”名馬”
テンポイント
寺山修司の詠んだ嗚呼、テンポイントが頭に浮かびました……。ウイポ10でテンポイントめちゃくちゃ活躍させてます😊
第22回有馬記念は伝説のマッチレースですよね❗
こういうレース、滅多に見れないですよね!特にG1レースは。
久々にテンポイントの話を聴いて号泣してしまった😭何度きいても悲しい話…テンポイントが多くを経験してくれて現在の競馬があると思ってる。リアルでは知らない馬だけど、その栄光と闘志は語り継がれて残っていってるよ
グリーングラスもやってほしい。
テンポイントが亡くなり、トウショウボーイは引退…
残ったグリーングラスはその後も頑張って後輩馬達と戦い天皇賞と有馬記念を獲得した。
グリーングラスの勝利はトウショウボーイとテンポイントの株を更に上げる事になったんやから…
グリーングラスの有馬記念は、テンポイント、トウショウボーイの有馬記念マッチレースの格を、守ったレースや
ちょっと泣きそうになっちゃった
テンポイントが、阪神三歳Sで圧勝し早めに東上したけどトライアルで辛勝し
皐月賞はトウショウボーイにぶっちぎられ。ダービーは骨折。
この時に、関東の競馬場は坂があるから(当時トレセンなく競馬場で調教)
馬のエンジンが違うというコメントを残した。結局4歳クラシックは勝てなかった。
しかし、5歳で馬体も成長しトウショウボーイとグリーングラスを破って
古馬チャンピョンに・6歳時に海外遠征を踏まえ、雪の日系新春杯へ
海外遠征の前に関西のファンに答えりため酷量を背負い3・4コーナーで骨折。
通常なら即安楽死なのに、延命治療をしたけど、蹄葉炎でやせ細り安楽死。
血統的矢当時の日本馬のレベルから海外で活躍できたかは分からないけど
1978年の日本馬の希望ではあった。
(サクラスターオーも有馬記念の骨折後の延命措置でどうように亡くなった。)
後にテンポイントの弟に乗る騎手が彼の見果てぬ夢をつかんだと言う、テンポイント武豊にも関わりがあったんだっけ
テンポイント…小さい時、夕方で山田雅人氏のネタでその最期を知りました。その後テレビ観戦の宝塚記念でのライスシャワーの最期…あの時もかなりの反響だったから当時のテンポイントを生かしてほしい気持ちもわかります。でも結果としては苦しめただけに
…でも残した医療の経験が多くの馬生を救えたなら意味あるものだったと思います。
テンポイント、トウショウボーイ、グリーングラスの3頭がそろったレースが3レース(菊花賞、宝塚記念、有馬記念)あるが、その3レースともこの3頭が1〜3着を独占してます。しかもそれぞれ1勝。どんだけ仲良いんだ。
しかも三頭とも一度づつ年度代表馬。
テンポイントはレースでなくなったが…テンポイントの全妹のイチワカの血統が生きててワカクモのクロス持ってるハルダヨリさん
テスコボーイの最高傑作トウショウボーイ。奇跡の命を紡いで、生まれたテンポイント。天才武邦彦と年間10勝程度の鹿戸明。筋肉隆々のトウショウボーイに綺麗な栗毛のテンポイント。巨人軍のように強いものが勝つのを観たいトウショウボーイファンと巨人に勝てない阪神を溺愛し判官贔屓のテンポイントのファン。全てが対照的な2頭。最終決戦の有馬記念は2頭のマッチレース。最後は僅かに単勝支持で上回ったテンポイントがファンの後押しされたが如く人気に応え遂に天馬を破った。。もしあのレースでトウショウボーイが勝っていたら語り継がれることは無かっただろう。
テンポイントが亡くなった後に歌われた「嗚呼、テンポイント、、、もう、良いんだよ、、」と言う曲と歌詞が走馬灯の様に今でも蘇り涙が出ます。あの曲、どなたかyoutubeでアップしてくれないかな。
私の年上の友人は、結婚式の日にテンポイントが死んで悲しくて涙を流し、その人と離婚した日に桜花賞で
シスタートウショウとヤマノカサブランカの万馬券を当てて、つくづくダメな結婚だったといっていた。テンポイントは特別な馬だったそうだ。
テンポイントと言えば杉本清さんの名実況ですね。
「ムチなど要らぬ」っていうのが印象に残ってます
オールドファンが語り継ぎ世紀のマッチレースと言われた有馬記念
スケールこそG2とはいえ阪神大賞典でのナリタブライアンとマヤノトップガンがTTGを見てない世代が語り継がれてる
そろそろ次のレースを見たいな
トウショウボーイ グリーングラスの解説もやってほしい
競馬などの「ギャンブル」は大嫌いでして、競馬自体にもあまり興味がありませんが、この「テンポイント」のアクシデントだけは衝撃的でした。彼に「生き地獄」を味わわせるよりもむしろ安楽死させて欲しかった。
事件や事故で亡くなる子供の動画も好きじゃ無いが、馬もレース中止の予後不良のは嫌いだ
無事コレ名馬の方が好みだ
宝塚記念と云い有馬記念と云い、TTGが揃うと少頭数になっちゃう!
更に有馬記念はマルゼンスキーも予定だったのだから、そりゃみんな回避しますわな。
TTGついにですね。
この世代をもっと語るべきだと思います。TTG以外にもクライムカイザー、ホクトボーイ、カシュウチカラがいますし、その前後のカブラヤオー、テスコガビー世代やマルゼンスキー、プレストウコウ、テンメイ世代との世代間での【if】がどれだけでも語られます。そして何より、その子供達の世代、特にミスターシービーまでの流れは、競馬の神様がファンに与えた夢物語だと思います。
5:19 なんだかんだでクライムカイザーが関東の厳しさを最初に教えたのかもしれないw
1990年に顕彰馬に選出されるテンポイト
タラレバではあるけどテンポイトが生きていたら種牡馬としてみなさんは成功していたと思いますか?
スタミナ型 晩成型 栗毛【栗毛の馬は蹄が弱い】 失敗しそうな形質ばかりだからなあ。春天馬は出せたかもしれないが、ダービー馬や牝馬の活躍は無理だったろう。
テンポイントの父父ネヴァーセイダイは難産で、産まれた時には瀕死状態でウイスキーで気付けをしたエピソードでその名をつけられた。ダービーに挑んだもののそれまで勝ったり負けたりで人気が無かったもののエピソードを気に入った主婦、モナベストが馬券を買ったところ優勝。郊外に地下室付きの家を買うことが出来た。
その地下室では彼女の息子の通う学校の生徒がレコードを聞いたりバンドを組んで演奏をしていた。そこに彼女の息子、ピートベストが加わって活動していたのが後の『ビートルズ』。ネヴァーセイダイがダービーを勝たなければビートルズもテンポイントもいなかったかもしれないと思うと奇妙なもんですね。
75世代で格下に見られていたグリーングラスの馬主さんの弟君が血の継承に挑んだ延長戦が98世代のグラスワンダー。有馬で当たるはずだったマルゼンスキーの再来と呼ばれ、ライバル テンポイントと同じ重度の骨折を負いながらも医療技術の進歩で命を取り留めて血を繋いでるモーリスをすこれ。
馬もだが、二度目の有馬記念時の陣営のトウショウボーイに対するライバル意識が凄かった。【このままトウショウボーイに勝ち逃げされたら、テンポイントは種牡馬になってもトウショウボーイより格下に扱われてしまう。それだけは断じて我慢ならん。】
まだ競馬というものを知らなかった小学生の頃、近所の競馬好きおばちゃん(この方、ワイの母親によると武邦彦推しだったらしい)の家に行ってて偶々テレビで「さよならテンポイント」とかやってたのを記憶している。こんなことになってたと知ったのは中2くらいでとある皇帝が三冠取ったってのをきっかけに競馬ってものを知った時だったんだが。
ただ…愛され過ぎた。
テンポイントは父親から色々教えて貰った事がありましたね。ビデオも買いましたね。その中でも印象に残ってるのが天皇賞制覇でしたね。
強くて美しい馬でした。
キタノカチドキ
テンポイント
トウカイテイオーが僕の大好きな名馬です。
人間の身勝手で亡くなった悲運の名馬
77年の有馬記念のTTG決戦は競馬史上屈指の名勝負
TTGの頃に今くらいレース体系が整備されてればなぁ・・・あんな重いハンデ背負う日経新春杯なんか出なくても、阪神大賞典か大阪杯あたりでお披露目出来てたんだ
日経新春杯は、斤量も然る事ながら、当時小雪が舞い散る程の天候でしたから、その影響も有ったでしょうね。
そして障害で活躍した弟のキングスポイントも………。
トウショウボーイはスピードが勝った、今ならマイルから2000mの重賞をメインに使われてたであろう馬。能力の高さで距離を克服していただけで、純粋に前述の距離ならテンポイントは勝てなかったと思う。
クライムカイザーは、当時のダービー馬だから。
サトノクラウン
ヤエノムテキ
ヒシミラクル
オルフェーヴル
エスポワールシチー
サクラチトセオー
ニホンピロウイナー
サトノアレス
ルーラーシップ
ファインニードル
をお願いします🙇
今夜も完璧ダゼ😊
ウイニングポストではスペシャル種牡馬(ウイニングポスト7シリーズ~ウイニングポスト92021)や競走馬(ウイニングポスト92022以降シリーズ1970年代シナリオスタート)で
序盤世話になる馬
2回目の有馬記念はトウショウボーイが引退を決めてたがテンポイントが出るならと引退を撤回し参戦したみたいなことなんかで見たけど違ったかな
最近やってるウイポの新作でグリーングラスを所持したら獲得賞金100億超えて強すぎた。まぁ、テンポイントとトウショウボーイをそれぞれ別路線にしてぶつからない様に調整したんだけども。
マンゼンスキーと有馬で走る姿を見たかったです!
テンポイントの馬主曰く「トウショウボーイの馬主は馬主会側としてストライキの団体交渉に臨んでたので妥結するかをほぼ把握していた」らしい
ちなみにテンポイントは幼駒時代体質が弱かったので脱脂粉乳を飲んでたそうな(後のリハビリ時も飲んでたらしい)
デビュー戦2着の騎手は加藤和宏調教師。
有馬記念の単勝のオッズは2倍、2.6倍は連勝式のオッズ。最期のレースの単勝は千円買った。結果的に香典になった。
ワカクモの血統紹介で父の名前が誤っていると思います。
「カバーラップ二世」だと思われます。
揚げ足取り申し訳ありません。
吉田重雄(吉田牧場の代表)役妖夢
高田久成役幽々子
小川佐助役レミリア
鹿戸明役フラン
厩務員役小悪魔、パチュリー、美鈴、咲夜
武田文吾(日本調教師会会長)役八雲紫
馬の事を考えたら安楽死させた方が正解だったよな。テンポイントを苦しむだけ苦しませたのだから。
時代が時代だからなのかどのレースも今と比べると少ない頭数なのね…
この世代のダービーは27頭立てですし古馬になってからはたまたまだったのかもしれません。
旧5歳有馬は回避続出、宝塚に関しては八大競走ではなく単に定量で走れる重賞扱いだったので価値が微妙だったのもあると思います(今でも微妙ではありますが…)
>O川K次郎氏
いったい誰なんですかねえ…((
それは競馬評論家の故・大川慶次郎氏ですよ。
宝塚記念のレース状況が間違っています。
超ハイペースではなく、超スローペースです。
その分、後半がすさまじく早くなり、スピードのない馬から脱落していくサバイバルレースとなりました。
前半ではなく、後半が1000mのレコード超えです。
日本経済新春杯も、当時も酷量は心配されていて、ファンの「出走」を望む声が多かったというのは今でも疑問です。
競馬場での顔見世だけでも、というファンの声があって、それを日本中央競馬会に規則で出来ないと突っぱられたので、かわりに出走して顔見世がわりにしたという「気を使いすぎ」という面があったのではないかと。
いくらファンが懇願しようが、調教師も絶対に出走させるべきではなかった。
66.5キロなんかめちゃくちゃすぎる。
テンポイントはファンや調教師、馬主が殺したようなもんです。
日経新春杯使わずに平場のオープンで減量騎手乗せとけば。
@@ヤツバキ
そうですね。
それなら斤量も相手も楽になるので骨折はしなかったかもしれません。
今さらテンポイント
されどテンポイント😢
過度な負担重量を科さない、これが無かったら「オジュウチョウサンがただの障害オープン、ウシュバテソーロがダートのオープン出たら何kg背負うんだよ」議論が・・・
無責任極まりないな「なんとか助けてくれ」だとか誰のせいでこんなことになったか分かってんのかよ
しかししてその犠牲が今日の治療法に生かされているのである
個人的な見解で色々な批判を浴びる覚悟でいいます
もしマルゼンスキーが有馬記念に出走してTTに負けたら種牡馬として傷がつき市場価値がさがるので
関係者は全勝のまま引退させた
と当時二十歳の若造は想像したのであった
結局はトウショウボーイと走ってないから、種馬の初期の頃は完全な格下扱い。
ーコメ、テンポイントです
だったらサイレンススズカも手術すればいいのにあっさりと安楽死😱😢😰😭😭😭😭😭😭😭😭😭。自分はガラスをぶち破りたいほど暴れまくり😭😭😭😭😭😭😭😭。
結局、パンとした状態のトウショウボーイには勝てなかったし、種牡馬としても勝てなかっただろう。予後って語られる馬になって結果良かったんちゃうかな